東野圭吾著「人魚の眠る家」読了

東野圭吾著 人魚の眠る家 映画化とか。

図書館に沢山読みたい本を予約してます。

予約図書が重なって来た時は こんなに一度に読めないよ~と悲鳴をあげそうになるけれど たまたまお出かけの電車の中で読む本がない!という時に買った 「人魚の眠る家」。

なんか話題になってたので買ったんですが この作品、映画化されていて、なんと!2018年11月18日公開なんですね~^^

 

自分の記録用記事ですので ネタバレしています。映画をご覧になる方、未読の方は ご注意ください。

 

人が死ぬということは? 重いテーマの小説

人の死は 何をもって死と判定するのか、脳死は死ではないのか? すごく際どい問題を扱っていて 東野圭吾作品ですが 推理小説ではないです。

離婚寸前の夫婦の長女の瑞穂は 従姉妹たちとプールに行って溺れてしまいます。排水口の網目に挟まった指が取れなくなって プールの底に沈んでいたのです。すぐに救急車で病院に運ばれたものの 意識が戻る見込みはない、と言われました。心臓は動いているから「生きている」ではないか、いつか回復するかもしれない、と延命措置をし在宅で介護を決意する母親の薫子、

薫子の我が子への愛、在宅介護をする覚悟、なんとしても「生きている」ことにしたいがための狂気…一心不乱という言葉がぴったりなほど。

絶対に我が子が死んだとは認めない、という決意が言動が 時に突飛なほどに描かれています。

薫子の夫 播磨和昌は「ハリマテクス」という会社の社長なので資金は潤沢にあります。

人工横隔膜を埋め込んで 酸素吸入ではなく自発呼吸ができるようにする下りは 興味深く読みました。

 

この作品の肝は、脳死と人の死、臓器提供

脳死と認められたら 脳死の人から臓器を取り出し移植に回せるけれど、心停止してしまったら 臓器は提供できない。

あるかなきかの可能性にかけて 延命措置をするのか、臓器提供を待つ人に臓器を提供して 誰かの体の中で生き続けてくれることを選ぶのか。

いざその時になってみないと 家族はなかなか判断できないのではないでしょうか。

子供の場合は いつか目覚めるかもしれない、と なかなか提供できないのが親心であり 日本の現状のようです。

海外ではグレーゾーンがないので脳死は死と認められすぐに移植に回されるのだそうです。

お話の中に 臓器提供を待つ子供のエピソードが出てきます。渡米して移植を受けるのに2億6千万円かかるのだそうです。街頭で募金活動をして高額のデポジット金を病院に支払って準備をしているうちにその子は亡くなってしまうのです。一刻の猶予もない子どもたちの命を救う手立てがこの国にはないのか、と切なくなりました。

日本では法律の壁あり 議論が尽くされてないというか デリケートな問題だけに深く踏み込むのを躊躇っているのではと言う気もします。

薫子は警察に自ら通報し 娘の首に包丁を当てて見せます。

この子が死んでいると言うなら今 私が娘を刺殺しても殺人には当たらないのか、と警官に問う場面は圧巻で、薫子の狂気を感じました。

カフカの「変身」を思い出しました

物語の中の母親・薫子は 意識のない娘=体は生きているが 延命措置を外したら死んでしまう「体だけ」の娘に 生きているかのように 新しい洋服を次々に着せ替え 車椅子を押して散歩をし、本を読み聞かせ、語りかけています。

異常なまでの娘への執着は 人形遊びのようにも見えました。

夫の会社の研究員に来てもらい 背中につけた電極と装置で娘の手をあげさせたり 表情筋を動かして口角を上げて笑顔を作らせたり…

カフカの変身では 逆に主人公・グレーゴルは 生きていて思考しているにもかかわらず 自分が大きなイモムシに「変身」してしまったためにコミュニケーション出来ないもどかしさがあります。

最初は可哀想な「グレーゴル」と思っていた家族も時間の経過とともにその存在は 息子・グレーゴルではなく「イモムシ」へと変化していきます。見た目はイモムシでも 魂は人間なのに。

父親が投げつけたリンゴが体にめり込み腐っていき、やがて死を迎えるという悲しい結末。

体は人間でも 頭も心も空っぽの娘を愛する 母親

体はイモムシでも 人の魂を持っていたグレーゴルを家族気味悪がり殺してしまった家族。

対称的。

裸の王様を思い出しました

薫子は娘の瑞穂を普通の少女の様に扱っているけれど 周囲の人は決してそうは思っていないのでした。

ある日 息子の生人の誕生日に小さな事件が起きました。

「だってお姉ちゃん死んでるもん」と正直な一言を発してしまい 薫子は激怒します。瑞穂を生きている、と信じているからこそ 今日まで頑張ってこれたというのに…

王様は裸だ!と言ったのも子供です。子供は正直で残酷ですw

薫子の頑張りに家族や周囲は合わせていたけれど 本当は皆…

瑞穂の旅立ち

介護から3年がたったある日 深夜に瑞穂が 薫子のベッドサイドに来て別れを告げました。夢枕にたった、という感じです。

見た目は生きているように見えるのは今までと変わりないけれど、もう瑞穂の中に瑞穂はいない、とようやく認めることが出来た薫子は臓器提供を決意したのでした。

もう一度 生と死について考えながら読みたい作品です。

 

映画の公式サイトには

この愛の結末に涙が止まらない

と書いてあるのですが、どんな描き方になっているのでしょうか?興味津々です。

*** 映画 人魚の眠る家 公式サイト ***